2008年3月 8日 (土)

なごり雪。

地方版じゃなく、全国区で言われる天気予報というのは、やはり関東中心におっしゃっているんでしょうね。
『今日は穏やかなよい陽気でした』と言われる日に限って、こちらはものすごく寒くて、ブルブル震えていた・・・というのが、よくあります。
日本列島は細長いし、太平洋側と日本海側でも気候が違うから、仕方がないことではありますが、ちょっと寂しい気持ちは隠せません。
寂しいと言えば・・・。
春が待ち遠しい一方、もう一度、雪が降って欲しいなと思う今日この頃です。
凛にちゃんとさよならを言いたいのです。
ふきのとうや小川の水のせせらぎにも、凛を思い出します。
でも、雪は特別でした。
凛は雪の精になったと信じ込んだくらいでしたから。
もう、二度と会えないと思っていた凛に会えて、今年の冬は本当に嬉しかった。
神様、なごり雪でもいいから、もう一度、凛に会わせて下さい。050728_161656

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2008年2月24日 (日)

雪は凛。

あー、めっきり雪には弱くなってしまった。
白い雪のひとひらが全部、凛の毛に見えてしまう。
凛ちゃんに対する禁断症状でもあるのでしょう。
でも、涙も一緒に出てくるもんなぁ。
家にいる時はいいけど、外でも同じ状態になってしまうから、困ったもんだ。
凛ちゃんよ、まだいっぱい言いたいことあるんかなぁ。
このドカ雪は凛のあふれんばかりの私への愛情だと思っています。
だから、いいよ。いっぱい、降りな。
いっぱい、空から降りてきな。

昨日もすごく疲れました。
疲れすぎると、キレやすいことがわかりました。
だからって、お客さんに当たるなんて事はありませんが・・・。
気分的にイライラしたり、する。
この前の嫌な予感がまたよぎり始めて、それを抑える努力が辛い。
この病気はきっと自分にしかわからない。
お医者さんは内科医も、歯医者も、神経医も誰も信用できない。
もうね、いちいち、説明するのがイヤ。
自分の辛さは薬でも、人でもどうしようも出来ないものだから。
これでも、パニック障害のエキスパートみたいなもので、対処の仕方もわかっている。
たぶん、この辛さはお墓の中まで持って行くんでしょう。
もう、パニック障害と心中する覚悟やね。
そのくらいじゃないと、本当にこの病気とは対峙していられない。
ずっと家にいて、外に出ず、プレッシャーも受けず、ストレスも感じない生活が出来るなら、この病気はきっと出てこない。
でも、そんな生活、送りたくもないんだよ。
どんなに辛い症状が出るとわかっても、生きていたい。
自分で「生きている」と実感できるような日々を過ごしたい。
確かに、自分だけがどうしてこんな目に・・・ってことは考えたことはある。
でも、誰のせいでとか、どういう理由でとか、あんまり考えたりはしない。
そんなことを考えてもどうしようもないし、なんのいいこともない。
ただ、あるのはこの症状が出てきたときの辛さのみ。
苦しさのみ。
一時期、通っていた病院でリーゼを処方されて、飲んでいた。
でも、今度はそれがないと不安で不安でいられなくなった。
それのみが自分を助けてくれるような暗示にかかってしまい、ないとわかっただだけで息が苦しくなり、手足が冷たくなってしまった。
ないと思うだけで、もう死にそうな気分になった。
リーゼから離れるのに、どれだけ時間がかかっただろう。
依存し始めると、私の場合ダメになる。
だから、少しづつ離れていく努力をする。
それは薬だけに留まらない。
そういう性分に、この病気はしたのかもしれない。
ただ、自分から離れていく分はなんとか耐えられるけど、大好きなものに離れていかれるのは痛いほど悲しい。
愛するものの死もまた同じ。

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2007年11月 9日 (金)

102日。

凛が亡くなって、100日が過ぎました。
もうすぐ冬が来て、雪が降るようになると、凛のことをもっといっぱい思い出すんだろうな。
凛のための涙は一生、枯れることはないです。
凛に対する愛しさは、今も心の中に静かに降り積もっています。

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2007年10月30日 (火)

凛はいる。

モモが、凛の好きだったピンクのイチゴハウスにしばらく前から入るようになりました。
中はふかふかだし、ちょうど寒くなりかけていたのでモモちゃんも嬉しかったのでしょう。
私も母も、凛ちゃんなら許してくれるよと、見守っていました。
ところが、それは大きな、大きな、間違いでした。
おとといの晩、モモはそのハウスごと食器棚の上から落ちてしまったのです。
かなりの高さからです。
おそらく、寝ていた時に起こったのでしょう。
落ちたあと、モモはあまりのショックで茫然自失状態でした。
幸いケガはなく、無事ですんでよかったのですが・・・。
凛ちゃんはイヤだったのでしょうね。
ボクの家なのにって。
ボクはずっと、この家にいるのにって。
本当に、馬鹿なことをしました。
そうじゃなくても、凛にとって、モモちゃんを迎えたことはとても悲しいことだっただろうに。
モモもこわい目にあわせて、かわいそうでした。
もっと、飼い主の私たちが思いやってやるべきでした。
ものすごく、反省しています。
凛ちゃん、ごめんなさい。
凛のハウスは、ずっと凛だけのものだよ。

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2007年10月19日 (金)

夢十夜。

078 凛が亡くなって81日目を迎えました。
凛と歩いた散歩道はすっかり草で覆われ、イナゴの数も例年より少ないように思います。
でも、凛が大好きだった場所だからでしょうか。
そこを歩いていると凛の存在を強く感じるのです。
「今、そこにいるような気がする」とか思って、立ち止まって見てしまいます。
時々、声なんか掛けたりして。
知らない人が見るとおかしい人って、思われちゃうでしょうね。

夏目漱石の「夢十夜」に、亡くなった恋人に会いたさに、大きな真珠貝で掘ったお墓に亡骸を埋め、星の欠片を墓標にして、百年を待とうとした男の人の話があります。
学生だった頃、英訳して、当時英会話を習っていた先生に見せたことがあるほど好きな作品でした。
改めて読んで、なぜか救いと安らぎを与えられた気がしました。

凛は亡くなってからも多くのことを私に教えてくれています。

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2007年10月 2日 (火)

ペットロス。

凛が亡くなってから、自分はどこかおかしかった。
積極的に死を望んだりはしないけれど、生きている実感がないまま、もうどうでもいいという思考しかなかった私は、間接的な死を望んでいたのかもしれない。
あったはずの未来のビジョンまでもが、綺麗に白紙に戻っていた。
仕事へ行くのもイヤで、イヤでたまらなかったし、何も楽しく思えなかった。
たかが「猫」と、思う人もいるかもしれないけれど、この二年間、私は凛のために生きてきた。
凛が可愛くて、可愛くて、たまらなかった。
だから、凛のいない世界に生きていくことは、意味がなく思えた。
いつどうなってもいいという考え方だったから、体に不調を覚えても積極的に治そうという気も起きなかった。
でも、ある日、そんな自分の行為に罪悪感を覚えるようになった。
自分の心がどんなに乱れていても、ただ、ただ生きるために頑張っている体を私は勝手に見殺しにしようとしていた。
そして、初めて、自分の体に謝った。
私の体を大事にしなくて、ごめんねと。
母のため、フクのため、テールのため、プリンのため、そしてモモのために、あと、せめて20年くらいは頑張んなきゃ。
凛によく似た子を、いつか飼いたいという野望もあるんだし・・・。
それに、自分の生まれてきた意義をまだ果たしていないから・・・。

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2007年10月 1日 (月)

凛の歌。

凛が亡くなってから、二ヶ月たった。
凛のいない日を二ヶ月、過ごしていることになる。
だけど、いまだに慣れない。
今の現実は、正直、現実と思えず、夢の中を生きているようだ。

音楽も全く、聴く気にならずにいたけれど、この歌だけは聴きたいという歌があった。
その曲を、昨日、凛が亡くなって初めて聴いた。
涙が止まらなくなった。
生きている時は何気なく聴いていた歌詞が、こんなにも当てはまって聴こえることが悲しかった。

BUMP OF CHICKEN の「ガラスのブルース」。

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2007年9月22日 (土)

凛へ。

私がものすごく凛を愛していたように、凛も私のことが好きだったのかもしれないと思うと、それだけで涙が止まらなくなる。

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2007年9月21日 (金)

散歩道。

凛と歩いた散歩道を、今日一人で歩きました。
凛がひょっこり、いそうな気がしました。

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2007年9月20日 (木)

散歩。

生きていたら、伝えたかった。
「凛とのお散歩はとっても楽しかったよ」と。

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